頂部に「ティー」と呼ばれる傘飾りを載せた大型の仏塔である。上段に向かってすぼまっていく、複数の段から成る基壇上に建つ。最下部の段の外壁には、黄金の「ティー」を載せた龕が設けられ、それぞれに小型の仏像を収める。
最下部の段と、三段目の隅には小型の尖塔が、二段目の隅には獅子像が立つ。
19世紀の新造、または再建と考えられている。
ャゼディ碑文、またはヤーザクマール碑文と呼ばれる石柱がある。1113年の日付があり、ミャンマーで現在確認されている最古の碑文である。ヤーザクマール王子によるグービャウッジー寺院建立の詳細を記している。
ヤーザクマール王子はチャンシッター王の王子であり、本来なら正当な王位継承予定者になるはずであった。しかし、チャンシッター王は王子の存在を知らず、孫を王位継承者に選んでしまったという。そのため、ヤーザクマール王子は生涯を王子の身分のまま過ごした。
母親であるチャンシッター王の王妃が亡くなったとき、ヤーザクマール王子は母が所有していた全ての宝飾品と3つの村を寄進して、1113年にグービャウッジー寺院を建立した。グービャウッジー寺院の境内には、その後ミャゼディと呼ばれる仏塔が建てられた。英領時代にミャゼディの傍らで碑文が発見されたことから、その後「ミャゼディ碑文」と通称されるようになった。
ミャゼディ碑文は四角柱に刻まれており、各面にそれぞれミャンマー語、モン語、パーリ語、ピュー語の4言語で記述されている。2015年にユネスコの世界記憶遺産に登録された。
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